好ましからざる人物

追悼

また、311が巡って来た。 被災された方々や支援ボランティアの方々、なにも出来ずに申し訳ない。 こんなところでこんなことをしているボクを許してください。 いや、ちっとも許さなくてもいいんですが。 そして昨日は、東京大空襲から70年。 ふと、思ったんだけど自分の子供に戦争の話しをしたことないなあって。 東日本大震災は、実体験があるのでボクが話す必要はないよね。 戦争は、勿論ボクはまだ生まれていなくて、母親と父親から幾つかエピソードを聞いた覚えがある。

多分原爆だと思ってたけど東京空襲の話しだったのかもしれない。 火に焼かれて逃げまどい、火まみれになって川に落ちたのか自ら入ったのか。 水を欲しがって飲ませると死んでしまったなど。

所謂灯火管制中に、爆撃機の音を聞いた祖父(母親の父親)が、こんな山の中に爆弾を落とすはずがないのにばからしいと云っていた云々。 因みに母親は、太平洋上から広島方面に向かう途中に住んでいた。

父親が旧制中学?だったと思うけど、クラブ活動でグライダーを引っ張っていたときに、機銃掃射を受けた云々。 グライダーとかすげーと思ったけど時節柄普通だったのかも。

ボクが聞いたのはそのぐらいかしら。 もっと色々聞いたのかもしれないけど覚えていない。

朝の点滴、途中で落ちなくなり、この前、2発で入れてくれた研修医が登場した。 きょうも22ゲージを1発で入れてくれたもののボク的には微妙。 試しにヘパリンを入れるときから既にちょっと痛いが、逆血もあるし大丈夫だと云うのでムダな抵抗は止めて、残りの点滴を落とす。 まあ、そこそこ落ちたんだけど、やっぱりヘパロックのとき、ちっと痛かった。

ここもきょうは防災訓練。 ゴーって云う地震の音まで放送から流れてきた。 基本点には職員の訓練なので、患者がどうこうする事はなかった。 病棟は、結構な耐震構造で倒壊の心配はないって放送があった。 きっとそうなんだろう。 どうせ大きな地震が起きるんだったら入院中がお得かもしれない。

予定通り、午後2時半ごろ8階に移動。 顔見知りの看護師に引き継がれる。 荷物を片づけて、最近日課の病棟内ウォーキングを20分ほど。 きょうも平穏に過ぎるかと思いきや、夜の点滴が落ちない。 ヘパリンも抵抗があって入っていかないらしい。 さて、誰が取るんだろうと待ち構えているとベテラン看護師の小泉さんがやって来た。 研修医じゃ難しいだろうなと思っていたので助かった。 1度、前腕で失敗したあと手背でもいいって云うと1発で入れてくれた。 流石である。 今回の入院、前半は苦労したがこのところ比較的すんなり入る。 ちょっと拍子抜け、いやホント2、3発で入れてもらって助かっているよ。
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はれ

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